ひじり大分に引っ越してきてどれぐらい経った?はるき3ヶ月ぐらいじゃないですかね。5月、6月、7月、8月...4ヶ月か。ひじりそっかそっか。大分っていう街はどうですか?はるき大分に来た理由が受験勉強で、街を楽しもうっていう気持ちで来てないからあまり観光的なことはできてないんですよね。そういった意味では、まだまだ魅力に気づけてない部分が多いんじゃないかなと思います。ひじりどこか行ったところはある?はるき別府の商店街と大分市府内ですね。あとはみんなで行ったラーメン屋さんぐらい。本当に徒歩圏内だけですよ。笑ひじりまあ、カメラマンがラーメン好きやからラーメンは行くよね。(うめりく苦笑)ひじりでも、本屋とかよく行ってるやん。はるきうん。本屋はめちゃめちゃ好きですね。ひじり何を探しに行ってるん?はるき黄ばんだ本。ひじりえ笑はるきなんか光ってるように見えるんですよ。ひじりそれはなんかこう呼ばれてる的な。引き寄せられてる的な?はるきそうそうそうそう。だからそれを探してるだけ。ひじりどういう本の類が多い?はるきその時々によって全然違うけど、共通してるのは古い本。ひじりほうほう。どれぐらい古い?はるき30年よりは絶対前。ひじりへー。30年以上前の本か。はるきどれだけ新しくても、多分1990年とか95年とかが僕の中での最新じゃないですかね。ひじりなるほどなるほど。古い本が多いってことは、新しい本はあんまり読んだりしない?はるき新しい本は読まないですね。どちらかというと、 〇〇論って書かれてるようなものが多いかもしれないです。なんとか言語論とか、比較文化論とか、なんかそういう本。ひじりそれはなんで読んでるの?はるき今の自分に必要だと思うから。ひじりほうほう。それは今の自分?それとも未来の自分にとって?はるき今の自分です。今の自分の悩みとか課題みたいなのを解決するために必要な知識、理論。相手を理解するために相手の思考を知識で辿るひじり今の悩みっていうのは具体的にどんなこと?はるき今となっては、僕はあんまり人間関係で悩むことってそんなにないんですけど、それでもたまに悩むことはあるんですよ。例えば、aさんとbさんとcさんがいて。ひじりうんはるき今、構図的にaさん対b、cさんになってるんですよね。それがなんで起きてるのかって言ったら、人それぞれ経験してきたことが違うし、価値観ももちろん違うから、ギャップとかすれ違いみたいなのが起きてて。解決するには、そのギャップをまずは埋めとかないといけないよねっていう状態。頭の中で人が動く、動かすんですよ。ああ言ったら、この人はこう言うだろうなみたいな。相手の思考を辿るんです。ひじりうんうんうん。はるきその時、自分の頭の中で想像するために、情報とか知識とかが必要というか。やっぱ人間、考えてることや行動とかが似た人って必ずいるから、似た人の情報を探したりとか。必要に応じて伝記も専門書も読む。例えば「あの人ってヘルダーの言語論っぽいことを喋るよな」と思うことがある。そしたらヘルダーの言語論を読めばその人の思考ってなんとなく分かるから、そしたら頭の中で相手が次に考えることとか、次にとる行動とかが読めてくる。それが分かると、僕がこういう立ち回りをすれば、なんかちょっと調和がとれるんじゃないかな?とかってことが分かってくる。ひじりつまり、人それぞれの興味や思考にあった知識を得ることによって、人間関係をよくしたり、自分が相手を理解するために本を読むってこと?はるきそんな感じですね。ひじりへー、なんか変わった読み方してるね。はるきそうなんですかね。だから「小手先の技術」ってあんまり興味なくて。tiktokとかショート動画とかで上がってるような一般的な心理術とか。例えばLINEの返信が遅い場合は脈なし、みたいな。少なくとも相手の思考を辿る上で必要なのは、そういう表面的な情報というよりは、もっと核心的な情報だから。それに、そういう表面的な情報に振り回される人間関係が僕はあまり得意じゃない。もっと純粋に、お互いのことを知りたい、理解したいっていう思いを大切にして、付き合う関係性が良いなって思うんですよね。僕が相手の思考を辿るのも、そのためにたくさん本を読むのも、結局は相手のことが好きで、ちゃんと理解したいと思ってるからな訳で。人との関係性を利益重視で考えて、自分の都合の良い方向に戦略的に誘導したり、そのために心理術を使おうとしたりするのは、あまり面白くないんですよね。僕にとって。中には性格的に自分の思った通りに物事を動かすのが好きな人もいるとは思うけど、友達としての関係性においてはもっと純粋に、素で喋りたいなって思います。ひじり素で喋るってどういうことなの。それは、感情的に話すみたいなイメージ?はるきいや、全然。逆に素じゃないイメージは、人が碁を打つみたいな感じで策士的に話すこと。相手が思った通りに動いたことに対して、マスクの下ではニヤニヤ笑ってるみたいな。ひじりはいはい。作為的な感じね。はるきうん。ひじりでもそれって難しいよね。特に初対面で1対1の時とか。はるき逆に僕は1対1の話って、あんまり困ることがなくて。だって、2人だけだから。僕は相手のことを理解すればいいし、相手は僕のことを理解すればいい。相手と自分だけの間でなら合意って取りやすいじゃないですか?ひじりたしかに。相手の言葉とか表情とかにも集中できるしね。はるきでも、それが例えば3人以上になった時。僕はひじりさんに対してaってことを喋ってるんだけど、もう1人に対してはbっていうことを喋ってる。話す内容はあくまでこの3人の人間関係の話なんですけど。これってなんか面白くないんですよ、僕にとって。もう1人の人がいないところで違うことを喋るって、あんまり面白くなくて。ひじり「面白くない」っていうのは、その人や話に一貫性がなくて、人に合わせて違うことを話すことなんだね。はるきうん。そういうことかも。偏見とか、余計な解釈とかがどんどん入ってくると、話がごにゃるんですよ。ねじれるというか。だから、一生そこになんか調和が生まれないというか。あの人の前ではこう言ってたのに、私の前では違うことを話してる。それじゃあ、何が正しいの?って、こうなる。一貫性がないことでみんなが同じ理解をすることができないから、それがすごく僕は嫌いなんです。相手の発言を素直に信じられなくなる。ひじりうんうん。具体的にどんな場面に出会ったん?相手に合わせようとしすぎることで生まれる不信感はるきあの、分人主義って知ってます?例えば、ひじりさんの前ではすごく柔らかい穏やかな雰囲気で、また別の誰かの前では、クールな自分を演じる。それはわざと作為的にやってるんじゃなくて、自然と相手に合わせてそうなってたりする。多重人格とはまた違った概念で、同じ人なんだけど、時と場合、いわゆるTPO(時、場所、場面に応じ、服装などを使い分けること)に合わせて雰囲気とか、人柄とかがちょっとずつ変わるっていう考えには僕は納得してるんです。でも、人間関係において、相手に合わせようとするがあまり、aさんと一緒にいる時はbさんの陰口を言って、bさんといる時はaさんの陰口を言う、みたいな感じになるのが僕はどことなく嫌いなんです。ひじりはいはいはいはいはい。はるきなんだろう、相手に都合のいい自分であろうとしすぎて、逆に不和が生まれるというか。不信感が生まれる。ひじりあー、そうなんや。はるき「あの人、私に言ってることと別の人に言ってることが全然違うじゃん。」みたいなのがどんどん生まれてくるから、どの話が正しいのかわからない。人が信じられなくなる。どの話が正しいの、あなたにとって?それを常に考えながら話さないといけない。ひじりうんうんうんうんうん。はるきそうなってくると、安心してその人と喋れなくなる。それが嫌だなって思ってて。だからやっぱり誰に対しても、言ってることに一貫性が欲しいし、そうすればその人の「核」っていうのが誰にでもよくわかって安心できる。ひじりなるほど、わからんでもないな。都合のいい自分になろうとしすぎてると本心がわからなくなったりするし。その本心を隠した対話から生まれるすれ違い(ギャップ、不調)を調和するために知識がある程度必要だと思って、本を読んでいるのか。はるきうん、まぁそういう側面があるのかな、と。ひじり他に、なんか違う種類の本読んだりする?次章へつづく・・・『歴史と現代のギャップを読み解き掛け合わせて未来を描く』