はるき最近はめちゃめちゃ歴史の本を読んでますね。歴史を知ることって、自分が生きてる意味を見出す上でも大事だと思ってるし、過去には判例があるから。現代は、過去とはいくら似てても必ずどこかが違っていて、「人のふり見て我がふり直せ」のように「ああやったら成功して、こうやったら失敗する」っていう、単純な話じゃない。思想もみんな人それぞれ違うし、昔は、アナログなことばっかりやってた時代が、今はデジタルに変わってて、グローバリゼーションも進んでるから、やっぱり同じ状況なんて1つもない。だからこそ、歴史(判例)を知った上で、現在の状況と掛け合わせて自分なりの新しい過去(歴史)を踏まえた思想、思考、結論を出す。それが、自分が生きる上での責任だとも思ってて。生きる、つまり、僕らが生まれた時から現在までの、僕なら20年っていう短い時間のことだけを切り取って物事を考えては、僕は先人たちと後世に対して申し訳が立たないと思ってて。現代って、個人個人が幸せになろうっていう、いわゆる内向性みたいなのがすごく求められ始めてる中で、生きることに対する意味とその考え方において、社会とか国家っていう全体性をほぼ無視、排除してると思ってて。ひじりたしかに、今の時代ってQOLとかLIFEWORKとか一人一人の生活の豊かさが進む中で、社会に対しての意味とか意義を忘れたがってる感じがするね。はるき自分が幸せになればいいよねみたいな。うん、そういう価値観で生きてる人が多い。今日まで日本って、少なからず2000年以上続いてるけど、その日本という国を維持してきた過去の人たち、僕らの先祖っていうのは何かしらの使命を果たしてきていて、自分のことだけを考えて生きたのかっていったら、僕はそうじゃないと思う。ひじりうんうんうんうん。はるき特に戦争とかそうじゃないですか。「日本国のために、お国のために」って未来の日本のために、祖国を維持存続するために、自分の命を投げ打った人たちがたくさんいたわけだから。そういう歴史があって、今の僕らが生きているのに。現代人は今の自分たちのことだけを見てる。現代科学は、地球の有限な資源を僕らの時代で使い切ろうとしてしまってる。これって、未来のことを何も考えてない行為だと思うんですよ。その責任感の無さっていうのは、やっぱり無知から生まれると僕は思ってる。だから歴史をまずは知らないと。何事も語れないというか。今僕らが慣れ親しんでる文化だって、数千年、数万年っていう文明の歴史があって、今ここにたどり着いてるわけで、生まれた時からあるわけじゃなく、何事も全て受け継がれてきてるから。ひじり歴史を知ることで、これまで存続してきた社会や土地、国、資源を次の世代の人類へと残そうと考えてるんだね。はるきだから、そのバトンの歴史を知るって意味でも、僕は歴史に対する認識が今まですごく甘かったと思うから、今はそれをちゃんと学ぼうって思ってる。それを考える上でさっきの〇〇論みたいなやつって、人類の流れとして絶対に避けては通れない道というか。歴史を年表的に見るだけだと、あまり繋がりや意義はわからないかもしれない。ただ、いろんなことを具体的に知ろうとすることで、当時の人の思想とか文化とか言語の変遷とかっていう小さな繋がりとか変化が初めて見えてきたりする。そうやって、歴史を深掘りしたら見えてくることがたくさん出てくると思う。そういう小さな物事まで目を向けて歴史を捉えようとしている自分にとって、今の本ってのは、歴史を全然踏まえてないものが多くて。小手先に走ったもの、技術って言っても的外れなことをたくさん書いてるものが多いし、自己啓発本なんて中身が全くないって正直思っちゃう。だからこそ、例え読みにくくても、あえて中身の濃い漢文調の古い本とかを好んで読んでるんだと思いますね。ひじりそこまで熱弁されるとめっちゃくちゃはるきが読んでる〇〇論って本が気になるんだけど、具体的にどんな本を読んでるの?はるき最近はヘルダーの言語起源論。ひじりそれを読んだら、ちょっとはその世界のことについてわかるみたいな?はるきうん、限りなく小さなものは。でも道端の石ころを拾ったかなぐらいですね。笑ひじり結構マニアックな本だから聞いたことなくて。笑ちなみにこの本の何が1番印象的だった。はるきこの本についてどうこうというより、結局、言語っていうのは聖書にも「初めに言葉ありき」って書かれてるように、認識の根源で、人間の全ては結局言葉から来てるんだろうなと思ってて。これに関して、具体的に喋ったらまじ永遠になるので割愛するんですけど。笑本当に言葉ってすごく大切で、やっぱりその人の人格とかも多分全部決めてるんだと思う。まだまだ解像度は低いけど、そういった今の僕がなんでこんなに言語に惹かれてるのか、言葉が大切だって思ってるのかっていうのをいつかはちゃんと論理的に説明できるようにもなりたいですね。ひじり最近よく見かける『〇〇が9割』に出てくるような、ハウツー系じゃなくて、もっと根本的な本質を理解しようとしてるんやね。はるきそう。みんながやらないことをやれる人って限られてて、たまたまそれを僕は使命として持ってて、他の人ができないからこそ僕がやらないといけないみたいに思うんです。ある種の特技みたいなもんなんですかね。ひじりその先に求めてることってどんなことなんやろ。何か結論を導きたいとか?はるき基本的に僕は、答えを出さないんですよ。どこまでも答えを求めたいんですけど。そう考える理由をすっごく抽象的に言えば、どんだけ頭が良くても、結局人間って人間の域を超えられないから、人智なんて限られてるから、たかが知れてるというか。だから、普遍的な1つの答えとかを見つけよう、定めようっていうのは、僕はナンセンスだと思う。ひじりあー、なるほどね。はるきそれに、これが答えだって認めてしまった瞬間に、その人の探求の営みは終わるというか、人間としての成長は終わってしまう。だから、僕はどれだけ知識を持ってたとしても、答えはあくまで仮のものであり続けると思うし、常により良い答えを探してると思う。自分は何事も全てからやっぱり学び続けたいというか、逆に言えば仮の答えでは全体に満足はしないと思う。ひじりいつの時代も変わらない大切なものや価値っていうのを知るためには、本棚の前の方に出てる本ってよりは、古本から本質をキャッチアップして、歴史と今を掛け合わせて見てみる。それが絶対的な解じゃなかったとしても、大切なこととして、自分の中に残すことはできるんだろうっていうのは聞いてて思った。だからこそ、媒体は本である必要があるよね。はるき僕らが触れられる形で残ってるのがたまたま本っていうだけなんですけどね。結局、デジタルとか、映像、音声的なものっていうのは、歴史で言ったら最近のものだから、遡ろうとしても現存してるものって限られてて。もっと遡ると、抽象画とかヒエログリフ(象形文字)とかになるのかもしれないけど。流石にそれはちょっと今の僕には無理ですみたいな感じだから、自分が使える言語の範囲となると、文字で書かれたものなんだろうなって、今は思ってますね。次章へつづく・・・『一生成長。使命感に生きる』