1年間の浪人生活を経て手にしたAIUへの切符ひじり大学進学後に留学を考えてたと思うけど、どうして国際教養大学(以下、AIU)を目指すことになったん?きょうこ高校に入ってから、ドキュメンタリーとかをすごい見るのが好きで。ドキュメンタリーを作って、報道する側の記者になりたいと思って大学を選んだんです。元々関西のいわゆる外国語学部とかがあるような国公立を見に行ってたんですけど、なんか違うなと思いました。それで、AIUのオープンキャンパスに1人で行きました。学生の雰囲気とか、留学生の雰囲気とか、カリキュラムとかも良くて、図書館もめちゃ素敵やったのが決め手になりました。ひじり1年の浪人を経て、晴れてAIUの学生になったんだね。きょうこでも、ちょうど入学したのが、2020年のコロナだったんで。うちの大学の1年生は、4月からこまち寮っていう寮に義務入寮するんですけど、寮の生活ができないっていうことになってしまって、キャンパスにも行っちゃダメになりました。だから、最初の4月から12月末までは家でオンライン授業を受けてたっていう感じでした。パソコン授業で結構ずっと家おるって感じやったし、実家が大阪なんで、外にもあんま出れへんかったから、 めちゃくちゃそれはきつかったかなって思います。ひじりだよね、自分もずっとオンライン授業だった。大学では授業以外に部活とかサークルに入ったりとかしてたん?きょうこあ、学生生活を無駄にしたくない、みたいな意思は人一倍強くて。オンラインでいろんな活動に参加してました。大学の同じ学年の子たちに会えないから、Discordのオンラインプラットフォームを使って友達を作ったりとかしてたし、コロナ収まるまではそのプラットフォームを使ってたりとか、あとは自分が所属してた団体にもオンラインで参加したりとかはしてました。課外活動としては、北東アジア学生ラウンドテーブル(以下SRT)に所属していて、北東アジアに関して学生で国際会議をする団体にいました。https://www.instagram.com/aiu.studentroundtable/?hl=jaコロナ禍で、対面で会うのが難しい中やったけど、結構少人数クラスとかで必然的に直接話す機会があったから、友達とは仲良くなれました。ひじりSRTってどんな団体?きょうこ日本、韓国、香港、モンゴル、 台湾の5か国地域の学生で国際会議をする団体です。2019年は、中国が台湾と香港に圧力をかけてた時期で、私は香港の運動とかにすごい関心があって。目標としていた記者になる上で、そういう団体に所属して知見を深めることと、英語を使って会議するみたいな機会が今までなかったからその団体には入っていました。その他にも色々やってたんですけど、1番メインでやってたのがSRTでした。涙の休学。身体の不調で実家へ帰省ひじりで、翌年2021年が2年生?きょうこそうです。課外活動も続けて、授業も受けてって感じで。2年生の11月ぐらいまでは大学にいたんです。けど、ちょっとそっから休学することになっちゃったんで、1回地元に帰りました。体調不良で休学することになって、身体的なのと精神的なのと両方で、朝起きられへんとか、体調悪くて起きられへんとか、 授業に行くのが怖くなったりとかそういう感じでしたね。めっちゃ帰りたくなかったけど、半ば強制的に帰ることになっちゃいました。親も学校の職員の方にも、休みなさいと言われた感じです。ひじりどれぐらい休学したん?きょうこそうですね、半年ぐらいですね。11月に実家の大阪に帰って、3月までいました。でも家にいるのが嫌やったから、長崎の五島列島に免許取り行ったり。あとは、3月まるまる秋田県の羽後町っていう人口1万3000人ぐらいの街で住み込みでインターンしたりとか、なんかそんな感じで動いてました。ひじりえ、じゃあ、その時は精神的にはちょっと回復してたんだ。きょうこ今から考えてみれば、なんかそうでもなかったです。家にいるのが嫌やったから、バタバタ動く方に自分の矢印を向けてたみたいな。地元の方とのつながりに恵まれたインターンシップひじりインターンって、どんなことしてたん?きょうこUGOHUBっていう、レンタルスペースとゲストハウスを融合したみたいな場所で。そこを経営してる方が、そこに住み込んでイベントをしたりとか、広報改善をやったりしてました。あとは単純に、そのスペースに来る利用者の方と交流したりとかそういった取り組みでした。ひじりインターンはどうだった?きょうこまず1つは、やっぱり地元の方との交流を通して、自分より20歳ぐらい年上の人とか、多様な生き方をしてる方に出会えたのがめちゃくちゃ楽しかったなと思ってて。もう1つは、学校内じゃなくて学校外でイベントをしたのがその時初めてだったので、なんかそういった初めての経験をすることができたり、オーナーさんともイベントを開催するために色々壁打ちしたりとか、話したりとかすることがあったのですごい良かったかなって。ひじりそこではどんなイベントを作ってたん?きょうこイベントは、社会人と学生の交流みたいな場所を作るみたいなイベントです。私は大阪出身なんで、たこ焼きをみんなで作る会「ジェネタコ」を開いたんですけど、ジェネレーションたこ焼きって言って、 1番下が18歳で、上が40歳ぐらいまで集めて、いろんな世代の人たちが一同に集まって、たこ焼き作るみたいなイベントです。ひじりいいね、たこ焼き。おいしそう。きょうこみんなで1から材料を作るみたいな企画で、大阪の人ってたこ焼き作り慣れてるけど、大阪外の人ってあまり作り方知らへんかったりするんですよね。そうすると、誰かと話して協力しないと作れないじゃないですか。そうやってなんかこう、普段距離が遠い社会人とかと、もうちょっと距離を近づけたいなって思って。それを逆手に取ったっていう感じです。ひじりインターン後に復学したん?きょうこそうそう。コロナがだいぶ落ち着いてきて、学校生活も対面授業に戻りました。インターン後も色々あって、4月から復学してたんですけど、また9月から休学してたんですよ。また体調がちょっと悪くなっちゃって、休学して。その時が、やっぱ今までで1番きつかったかもしれないですね、人生で。うん。ひじりそうだったんだ。2回目の休学も体調不良とか?きょうこうーん、やっぱり元々何かにずっと頑張ってたいタイプやったり、何かに向けてチャレンジしていきたいというか、進んでいきたいタイプだからそれができないっていうのが精神的にはめっちゃきつかったのかなと思います。やっぱ留学が1つの大きい目標として高校の時からあったので、留学に行けなくなったりとか、休学も2回目やし、めっちゃきつかったかなって思いますね。暗くなったりするし、自信もなくすし、自己肯定感みたいなのが元々低いのに、どんどんガクッと下がったんで、きつかったですね。暗黒期やな、めっちゃ。さっき言わなかったんですけど、10個ぐらい団体とか入ったり、インターンも重なったり、色々掛け持ちするタイプだったんです。それをどんどん続けて、留学も行って、もっと頑張りたい!みたいなビジョンを勝手に描いていたから、それが出来なくなったのがかなりきつかった。次章へとつづく・・・『イレギュラーさえも肯定して楽しむ』