誰もがありのままに生きられる社会を、世界をやすなんか、ひじりさ、ごみ拾いをメインに結構いつも言ってくれるけどさ、俺、別にそんなことなくて、ごみ拾いはただの1つのツールなんよな。だから、別にごみ問題をズバッと解決したいわけじゃなくて、ごみをツールにして社会問題をみんなに知ってもらって、社会問題全部を解決したいと思ってるから。ま、でも、その1つとして、1番俺が取り組みやすいのはごみ問題っていうだけであって。結構、そこね、大事かもしれん。俺の中で。ひじりなんで、そう社会問題を知ってほしいん?やすまず、社会問題に対する日本人の感度が低いっていうのがあると思うよな。認知度とか、認識とか意識とか。社会問題に対しての 意識が低いっていうのと、やっぱ難しそうっていうので興味があって。「何したらいいかわからん」とかさ。取り組んでくれないわけじゃないけど、なんて言ったらいいんかな。とりあえず、世界とか他の国とかに比べると問題への感度が低いと思うから。だから、知ってもらうっていうのを、楽しみながらまずはやっていく。そう、だから楽しむっていうのを大事にしてて、それがないとやっぱ継続できひんと思うから。継続できひんし、伝えようにも伝わらんというか、堅苦しく伝えてもなんかやってんな〜ぐらいで終わる。だから、結構いろんなところで、笑顔とか、楽しんでもらうっていうところは大事にしてるかな。そこはやっぱ本質を伝えたいなって思う。ひじりちなみにさ、逆に聞きたいのは、日本人の社会問題への感度の低さっていうのを他の国と比べて感じてると思うんやけど。それってやっぱ、立命館アジア太平洋大学(以下APUに省略)の学生ならではなん?やす俺は休学とかしてて、どちらかといえば、大分の外に出て活動してきた人やから、外での活動が先にあって。そんで後からAPUの中に社会課題解決に向けて活動してる人がおるんや、じゃあ一緒になんかやりたいねみたいな感じで繋がっていったような感じで。やから、APUは後から繋がってきたって感じなんよな。ひじりあ〜、APU以外での活動が先にあったんやもんね。やすうん、だからAPU生がどうこうっていうよりはもっと一般的で、例えばインドネシアではもうプラスチックのビニール袋は使ったらあかんみたいな、禁止されてるのがあったりとか。それこそ、最近行った韓国とかは、お店でプラスチックのビニール袋を提供したらあかん法律があったり。ひじりへぇ~、そういうのあるんや。やすそうそうそう。日本と近いような国でも、もう既にそういうところが進んでる。そんな中で日本ってやっぱ遅れてるなとも思うし、もちろん、北欧とか行ったらもっともっと進んでるし。そういう社会課題に取り組むことが文化として根付いてるところが世界にはたくさんある。けど、それが今、現代社会の波が来てて、ごみだらけになったりとかもしてたりするし、いろんな問題が絡んでるかなとも思う。ひじりうんうん。やす感度っていう面でいくと、日本ってさ、どんだけ包装してんねんっていうぐらいに丁寧に野菜とか梱包するやん。正直、野菜とか包装せんでええわけよ。まあまあこれは俺の一個人の意見やから、あれやけど。大量生産、大量消費の流れ。 仕方ない流れではあると思うけど、なんかもっと、本質的なところを再認識したら、多分ね、幸福度も上がると思うよな。そう思うと日本って鬱じゃない?あのさ、この前来とったミユキちゃんが「台湾の子がさ、 台湾の歌はほぼ恋愛やけど、日本って社会に対する歌とかが多いよね。やっぱそれ、台湾行ってから、なんか日本って鬱の国なんやなって思った」って言ってたん、めっちゃ共感したなっていう感じ。ひじりなんでね、こんなにも苦しむ人は多いんだろうね。なんか、俺もフィリピンにいた時とかは、みんな休日踊って歌って、楽しむ文化があって。でも、日本やと恥ずかしがる自分もいて、みたいな、こうなんか、自分の見られ方を気にするっていうのが、もう1つあるのかなと思う。どう思う?違いは?やす違いは、文化とか、歴史の流れもあるとは思うけど、やっぱ、協調性じゃないけど、それが同調圧力とか、今のマスク外せないみたいな流れとかにもなってると思うし。なんか、そこは仕方ない部分もあるんかもしれんけど、変わらないとね。どんどん日本、下に行くよね。ひじり一旦ここまでを振り返ると、活動の話から始まって、社会課題を伝えたいって話に移って、そこから日本が鬱って話になったんよね。やすそやな。なんか、えらいぶっ飛んだけど笑あ、それで言うと、その鬱っていうところで共通するっていうか、繋がる話やねんけど。47都道府県ごみ拾いで都会とか関東圏とかでごみ拾いしてる時に、やっぱ いろんな人とすれ違ったりさ、見たりするわけやんか。東京とか、あの辺でごみ拾いしてると、すれ違う人すれ違う人の顔がみんな死んでるんよな。やす何のために生きてんやろっていうか、なんか、目がキラキラしてないっていうか。なんとなくやけど、そういうのがやっぱ伝わってくるわけ。本当はこうしたいけどこうするしかないみたいなさ。会社とかお金の面とかで制限されてる部分があって、心は本当はこうありたいけど現実はそうじゃないっていうか。LGBTQの人とかはもっと感じるよね。本当は女の子でいたいけど、世間体的に抑圧されてる人たちがいっぱいおるなと思って。だからこそいろんな意味で、その社会を俺は変えたいと思ってて。都道府県ごみ拾いの時に誰もがありのままに生きられる社会を、世界を作りたいって思った。ひじりうんうんうん。やす日本はこういう状況にあるからこそね。ひじりそれが1番やすが求める夢の果てなん?ごみ拾いから社会課題を知ってもらったその先の先の夢。やすそう。おっきな1個の夢としてね。1つのおっきな夢が、孫とか子供の世代に安心安全で魚を食べられる環境を守りたい。それはさっきも言ったけど、自然が好きっていうところから派生して活動も始めたわけやし。47都道府県ごみ拾いをしたことで感じたんが、その夢に近づくためにも、俺らみたいな活動家の人たちが社会にいいことをする対価として、お金とかそういうのをもっともらえる社会の仕組み作りが必要ってこと。活動家の定義も難しいんやけど、俺は学生であったりとか、社会人であったり関係なく、社会にいいことをしてる人たち。ボランティアでもいいし、ビーチクリーンでいい。まぁ、ボランティアって言葉があること自体が、俺はちょっと違うなって思うんやけど。まぁそんな人たちが、社会にいいことをする対価として、お金であったりとかそういうのもっともらえる社会の仕組みでないといけないなって思うから。その仕組みを作りたいなと思ってる。今はその問題をなんとかして、そっから自分のやりたい社会問題についてズバッと取り組みたいっていうのが現状の考え。ひじりなんかいいね、ボランティアって言葉。俺は言葉の語源を調べるのが好きなんやけど、ボランティアって今は無償の労働みたいな意味合いが強いなと思うけど、語源では「自由意志」を意味するラテン語から来てるらしい。確か、喜びや精神に関するフランス語。ボランティ?ボランテ?だから本来は、語源的なニュアンスが強くあるべきで、こう、楽しんでるとか、自由意思でやってるイメージなんやろな。やすうんうんうん。そうなんやけど、俺も楽しんでるのは楽しんでんねんけど、ただそこの領域はもう超えてるじゃないけどさ。もっと社会にアプローチしていく中で、なんて言ったらいいんかな。別で仕事に就いて働いて、ボランティアみたいなこともやるってなると、どうしても厳しい状況があるからさ。つづく